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2回の大動脈瘤手術を乗り越えて思うこと
   
   

 

32歳男性・埼玉県 2004年寄稿

1997年:解離性大動脈瘤の診断
2003年:下行大動脈置換手術
2003年:大動脈解離再発
2004年:大動脈弓部全置換手術

2004年6月某日。
自宅近くの大学病院で1回目の手術(2003年6月)を受けてからちょうど一年目。
川崎幸病院・大動脈センターでの2回目の手術の後、山本先生から、"動脈瘤については、もう心配する必要なし。"という言葉を聞きました。
「運動OK。重いものをもっても大丈夫!血圧を気にする必要もありません!」と。

ここまで、本当に長かったです。本当に・・・・・

初めての解離性大動脈瘤

今から7年前の1997年。大学の健康診断でレントゲンを撮ったときに、大動脈の解離が見つかりました。
場所は弓部と下行大動脈にかけて、内膜がばっさりと解離です。24歳の時でした。

当時、大阪府高槻市にいた私は、吹田市にある国立循環器センターを紹介されました。
病名は、解離性大動脈瘤と言われました。

私は、すぐに手術をすると思ったのですが、診断の結果は、動脈の直径が40mmなので、手術は行わないという事でした。
国立循環器センターの先生は、6ヵ月毎のCT検査で状況を見れば充分と言うので、本当に大丈夫なのかなという不安もありましたが、突然の事で頭が混乱していたこともあり、先生に説明を受けても「はぁ〜」と、あいまいな返事ばかりしていたように思います。

また、この時の先生の話はあまり覚えていません。
先生に対しての不信感というか、壁というものをとても感じました。
なんか、自分が一人の人間として診察してもらっているのではなく、大勢来る患者の一人という感じを受けました。
先生の診察が毎回同じ事を言うありきたりの会話だった事。
診察時間も5分程度の短時間だった事。
特に気をつけることとか、薬を飲むという事もありませんでしたし、指導もありませんでした。
長すぎる待ち時間。すぐ終わる診察。駐車場は、常に満車。受付は機械。
私は1年半くらいで病院に行くのを勝手に辞めてしまいました。

もともと病院が嫌いだった私は通う時間がもったいないのと自覚症状がなかったのもあり、病気の事は忘れたふりをしていました。
色々な理由をつけて、逃げてしまう人間の典型かもしれません。

そして再発

2001年3月 28歳の時に、故郷の埼玉に戻ってきました。
2ヶ月間ほどは、順調に生活をしていました。
仕事は、飲食業でした。
6月に新しいお店を立ち上げる事になり、急に仕事が忙しくなってしまいました。
帰宅はほとんど出来ず、風呂はお店の台所で、寝るのは、お店の椅子を並べて、食事はファーストフードやコンビニ弁当などがほとんどでした。
そんな感じで、オープンは無事に迎えることが出来ました。
しかし、オープンから3日目。
仕事が終わり一息ついていた時に、意識が飛んでしまいました。
原因は、重課労働と睡眠不足のダブルパンチでした。
救急車で 近くの病院に運ばれ、色々と検査を受けました。
その時のレントゲンで大動脈に異変があると言われました。(当然ですけど・・・)
忘れていた過去が目覚めた瞬間でした。
どこか、希望の病院はあるかと聞かれたので、家の近くにある大学病院を希望しました。
この病院は、心臓の手術に関してはとても有名だということを以前から聞いていたので(本当はこんなこと、当てにならないということが後から解かりました)、もう一度じっくり見てもらうことになりました。

不安と恐怖に満ちた手術説明

CT検査だけかと思ったら、カテーテル検査というものを始めて受けました。
初めての事だったので、とても怖かったです。
予想通り、大動脈解離は着実に進行しており、大きさは55mmまで膨らんでいました。(馬鹿ですね・・・)

「ヤバイ!」 と正直思いました。
大学病院の担当の先生に、手術をした方が良いと言われたのですが、新しい会社に入ったばかりということと、なにより手術をする事にとても恐怖を覚えたため、もう少し待ってほしいとお願いをしました。
先生は、少し困った顔をしていましたが、私にはどうしても手術を受ける気持ちになれませんでした。
とにかく、もうこれ以上膨らまないように、規則正しい生活をして、煙草も辞めて、酒も控えて、とにかく現状維持に努めようと心がけました。
もしかしたら、奇跡が起きて治ってしまい、手術をする必要がなくなるかもしれない!幸い、会社が病気に対してとても理解を示してくれたこともあり、自宅でSOHOという形で、仕事を続けさせてくれました。
しかし、これだけの好条件に恵まれながら、6ヶ月ごとに少しずつ動脈瘤は広がってしまい、とうとう60mmを超えてしまったのです。
とうとう、仕方なく2003年6月にこの大学病院で手術をする事になりました。(奇跡は起きませんでした・・・・)

初めての手術は、私に不安と恐怖しか与えてくれませんでした。
その不安と恐怖の大部分を占めるのが手術前の説明でした。
これを言わないといけない決まりらしいのですが、とにかく失敗の確率ばかり言われました。
輸血による、感染症。手術による生存率は80%。手足に障害が残る確率が50%。
確かに、人間のすることですからリスクは承知していましたが、決まりとはいえ、その説明を淡々とクールに説明されました。
説明は多分、若い助手の先生だと思うのですが、とにかく事務的というか、マニュアル的というか、なんか心と心が通じなかったというか、もう少し、患者の立場を考えて説明をして欲しい!! と強く思いました。
実際に、「そんな言い方するんだったら、手術辞めます!」「このままで良いです!」と説明してくれた助手の先生に訴えてしまいました。
一度は手術を、お断りして退院してしまおうと思ったくらいです。
実際に、説明が日曜日、手術がその次の週の金曜日だったのですが、それまでの間、毎日怖くて眠れませんでした。
この時に、生まれて初めて睡眠剤というものを服用しました。

苦闘!術後(下行大動脈置換手術)

手術はなんとか終わりました。
その時のことは、何も覚えていません。
朝の8時ごろに手術室に入り、22時過ぎに意識が戻った時には、集中治療室の中でした。
手術の所要時間は約10時間程度でした。
(山本先生は、どうしてこの手術に10時間もかかるのだろうと、首をかしげていましたが)
手術後は、痛みと下痢との戦いが2週間続きました。

まず首から左肩にかけて、すごい痛みがありました。
原因は左胸から背中にかけてメスを入れて手術をしたため、右側を向き、左腕を頭の上まで上げた状態が長時間続いたためだそうです。
対処方法は、シップを張る事でしたが、この痛みは入院中(約3週間)無くなる事はありませんでした。
声もあまりよく出ませんでした。
一応耳鼻科の先生に診てもらいました。
耳鼻科の先生は「声帯の片方が動いていません」と診断した後、「半年から1年くらいは我慢してね」と軽く言われました。
その診断を聞いた担当医の先生は、「喉に人工呼吸の為の器具を入れるんだけど、それが声帯に当たって傷をつけてしまったみたいだ。
まあよくあることだから」と説明してくれました。
(でも、本当はこの手術をする場合、大動脈の近くに声帯の神経があって、どうしても触ってしまう為、術後はしばらく声が出にくくなると、後で山本先生から説明してもらいました。後から考えると、そんなことも知らない先生に手術をされてたのか!と、思いました。)

そして、下痢です。
集中治療室で下剤を飲まされ、浣腸をされました。
一日中ずっと下痢の症状が続き、簡易トイレは私のお友達状態でした。
この時の看護婦さんには本当に感謝でした。
私の大便もそれこそ一日中見ていたと思うのですが、とても親切に対応して頂いたので、とても心が和みました。
昼間はやさしい看護婦さんが、常に目の前にいたので、不安はありませんでしたが、深夜になると目の前にいなくなります。(ICUなのに・・・)
夜、お腹が痛くなり、簡易トイレを求めるのですが、声が本当に出ないために、看護婦さんが気付いてくれません。
(ICUはナースコールのボタンが無いみたい)
更に!ICUは色々な電子音が鳴り響いていて、その音に私のかすれた小さな声がかき消されてしまいます。
(本当に声が出ませんでした。)
しかし、私もそこは成人男性なので、必死に我慢、我慢、我慢の子でした。

そして頭痛です。
この手術ではスパイナルドレナージという脊髄にチューブを入れます。
(山本先生は下行大動脈の手術ではこのチューブは不要と言ってました。不要な治療でこの苦痛ですか?)
それの影響で、手術後は、頭痛というか気持ち悪い状態が続きます。
症状は人それぞれみたいです。
私の場合は、起き上がると気持ち悪くなるので、食事をする時は寝ながら食べました。
この症状はちょうど、1週間続きました。

何とか退院

しかし、このような苦闘の後、私は何とか退院することができました。
家に帰っても1週間くらいは体が思うように動きませんでした。
家の中の掃除が色々とできるようになったのが、2週間後。
軽い運動が、7月下旬に出来るようになりました。
32歳という、若さもありますが、やはり家で、家族と共に過ごすというのが、とても自分にとって精神的な助けになりました。
また、この年(2003年)の夏はとても涼しくてすごしやすかったので、リハビリをするにはいい環境でした。
9月には、仕事も再開しました。
先生からも社会復帰して新たに頑張るようにと励ましていただき、やっとのこと、全てが順調に行くと思っていました。

再び再発

が、しかし、今度は上行大動脈が解離です。2003年10月でした。
 
「もうやだ。あんな思いはもうしたくない。」
「あんな思いをするくらいなら、手術を受けないでこのままの方がいい。」
かなり落ち込みました。
大学病院の先生に、「どうしてなのですか?手術ミスですか?」と聞いたのですが、先生は言葉を濁す感じで、納得のいく説明はしてくれませんでした。
結局、「手術は必要です。12月初めにしましょう」と先生にいわれたのですが、何故か納得できない自分がいました。
「このまま2回目の手術を受けることが果たして正しいのだろうか?」「先生の言っていることをそのまま聞いていて良いのだろうか?」
心には、何か引っかかるものがありました。

大学病院から、川崎幸病院へ

11月初旬。
不安と疑問の中、大学病院での2回目の手術日程を決めました。
ほとんど、投げやりに、、。
1週間ほど経って、母の勤めている歯科医院の先生が、大動脈瘤に関して色々と調べてくださいました。
その結果、「川崎幸病院の山本先生がいいらしいよ。」と教えていただきました。
何かにすがりたい気持ちで、思い切って連絡をしてみると、紹介状もなしですぐに見ていただけるということになりました。
火曜日に電話をして、その週の土曜日に診察の予約が取れたので、タイミングが良かったです。
当日は、CT検査をした後、その画像を見ながら、山本先生の話を一時間以上、じっくりと真剣に聞きました。
病気の事、手術の必要性、何故、1年間に2回も手術をする事になってしまったのか。
山本先生は、判り易く、とても丁寧に説明してくれました。
その説明は不思議と、とてもわかりやすくて、今まで自分がなんとなく聞いていた先生の説明とは全く違いました。
それは、手術を執刀する先生が、じかに話してくれているからかも知れません。
そして、迷わず、その日のうちに山本先生に手術をお願いしよう決めました。
すぐに、大学病院での手術はキャンセルして、再度、川崎幸病院で手術の予約をしました。
手術日は、3ヶ月先まで予約で一杯だったので、来年の2月まで待つことになりましたが、先生に手術をしてもらうまで待つことに対しては、何の不安もありませんでした。

運命の手術日(弓部大動脈全置換手術)

2004年2月某日、手術日。
実は、この日は亡くなった父の誕生日だったのです。
私は、何か運命的なものを感じながら、手術の朝を迎えました。
今回は、2回目の手術というのもあり、1回目の時に術後の過程を大体経験していたので、そんなに不安はありませんでした。 

手術は、無事に終わり、私の予想通り、夜の8時ごろ集中治療室で目が覚めました。
(手術時間はわずか4時間55分だったそうです。)
さあ、これから体中に痛みがはしり、下剤を飲まされて、1週間苦しむのか!よし、気合を入れて乗り切るぞ!と思っていました。
が!! その次の日には、集中治療室を出てしまい、その1日後には、もう歩いてトイレに行っていました。
今回の手術後は、信じられないくらいとても楽でした。
山本先生が「ここでの手術後は楽だろう?」とよく言っていました。
私が「何故ですか?」と聞くと、「腕が違うからだよ(笑)」と笑いながら言っていました。
でも、実際に2回目の手術後はとても楽でした。
1回目の手術と比べても、今回の手術は、はるかに大きな手術だったのに、です。
切った場所が違うのと、今回は脊髄チューブも入れなかった事もありますが、とても肉体的には楽でした。
しかし、肉体的な辛さとは別に、精神的なしんどさがありました。
(ちなみに、この精神的な辛さというのは、本人の意識の問題で、結構ポジティブに物事を考える人はあまり、精神的に辛いというのはないのかなと思いました。
私の場合は、物事を考えすぎてしまう癖があるので、夜、微熱が出て、なかなか寝れない時などは、マイナス思考がどんどん働いてしまった事がありました。)
退院は、3月某日。
約2週間ちょっとで、楽々退院することが出来ました。

そして、今

暑い夏も終わり、退院後3ヶ月が経ちました。
新しい仕事にも就けて、いま、大好きなテニスを週に2度、やっています。
さすがに、以前のように軽快には動けませんが...。
でも、少しずつ、体力をつけて、元通りの体に戻そうと思っています。

いま、私が思うこと。

私は、1回目と2回目で手術をしてもらった先生が違います。
色々な巡り合わせがあって、今このような下手な文章を書いていますが、「先生によって自分の一生が決まる!」としみじみ思いました。
同じ病気が、見る先生によって、捉え方も違いますし、アプローチの仕方も違いました。
先生の経験によって手術の内容が大きく変るというのを知りました。
先生によって、患者に対する接し方が全然違うのだというのも知りました。
病気になったら、一つ病院で診察を受けるのではなく、色々先生の意見を聞いて自分の選択の幅を広げる努力をする事が必要と思いました。
私は一年間に2度、大動脈瘤の手術を受けました。
もし2回目も同じ病院で手術をしていたら、果たして、今、私は生きているのだろうか?それとも今こうして何の不安もなく、社会復帰出来ていたのだろうか?と思います。
私は同じ病気を、複数の先生に診てもらったことにより、より良い選択をする事が出来たと思っています。
私は、変なところで義理堅いと周りによく言われるのですが、ずっと診てもらっている先生に義理を感じて、他の先生に行く事にはすごく抵抗がありました。
しかし、周りの人たちからの色々な助言で、山本先生の所に行く事ができ、新しい道を開くことが出来ました。