川崎幸病院 川崎幸病院大動脈センター 医療法人財団石心会 大動脈治療の最前線 心臓血管外科の最前線    
         
       
   

大動脈瘤手術を経て −家族の立場から−
   
   

 

患者家族・東京都 2004年寄稿

2000年 解離性大動脈瘤の診断
2001年 上行大動脈瘤手術
2003年 胸腹部大動脈瘤手術

解離性大動脈瘤の宣告

母は昭和3年生まれ、現在76歳になります。

かねてから、高血圧が持病であった母は、それまで何十年間も、近くの内科医院に通い、血圧を測定し、薬を処方してもらうだけ、それでもなんの不安もありませんでした。
今までの人生、これといった大病をせずにすごしてきたことが、自分は健康だという、なんの根拠もない自信となっていたのでしょう。

ところが2001年8月、区の老人検診で胸部レントゲンを受けた際、心臓肥大と胸部に異変があることを指摘されました。
前述の先生は「一度専門の病院で診察を受けたほうがよい」と、自宅からあまり遠くない大学病院を紹介して下さいました。
その日のことは今でも鮮明に覚えています。
母は、普段は気丈なタイプの人間でしたが、そのときに限って私に病院に付き合ってくれ、と言ったからです。
大学病院のA先生は、初診の日に、解離性大動脈瘤と診断され、弓部は2.5cmから3cmだが、上行と下行と腹部大動脈はそれぞれ6cm以上であることを告げ、即日入院となりました。
その日から私たち家族と、そして勿論本人の不安な日々が始まりました。

第一回目手術

入院して、まず高すぎる血圧を正常値に戻さないと危険ですと言われ、トイレ以外は動かないように、薬だけ飲み、1日に何回も血圧を測る、それが1ヵ月あまり続き、その後退院となりました。
再度入院し、心臓カテーテル検査等を終え、その1ヵ月後に胸部(上行)大動脈人工血管置換術を受けました。
下行大動脈から腹部大動脈も十分膨らんでいましたが、下行・上行両大動脈を同時に置換するのは無理だ、ということでした。
この手術のときも、担当のA先生からは手術に伴うリスクとして脳梗塞、下半身麻痺の危険があること、また成功しても他の障害(多臓器不全、不整脈等)を負う可能性があると、などの説明を受けました。
母は初めての大手術、不安にならないはずはありません。
元来が楽天的な性格ですが、覚悟を決めたようでした。

手術は限度といわれた8時間くらいかかり、術後すぐに集中治療室で母に会いました。
ベッドの上で呼吸器をつけ、たくさんのチューブがつながれている母は、白い顔をして眠っていました。
私には母の周りの機械が動いていることで、やっと母が生きているのだ、と理解できたものの、その顔は死に顔にみえました。
術後、ICUから一般病室に戻ると二週間ほどは激しい痛みを訴え、発熱を繰り返し、一時は不整脈も見られましたが、1ヵ月ほどでようやく退院することができました。

退院してからは1ヵ月に一度、薬をもらいに大学病院に通院していました。
その頃、周りの人に"手術が成功してよかったね。"、と言われると母は必ず「でもまだ残っているのよ」と憂鬱そうに答えていました。
下行から腹部も破裂する大きさだったのですが、何となく母を見ていると、このまま破裂せずに生きていける気がしました。
術後あんなに辛そうで、痛がり、苦しがっていた母の姿は、もう二度と見たくありませんでした。母もできればこのままの生活が続けば、と願っていました。
その後、担当していただいたA先生が突然転勤され、母はB先生に診察をしていただくことになりました。
B先生は上行大動脈の手術時、執刀してくださった先生でした。
外来で私たちが「下行大動脈から腹部大動脈は平気でしょうか?」と尋ねると、必ず「もうすこし様子を見ましょう」とおっしゃっていました。
何ヶ月か通院していましたが、B先生のほうからは下行大動脈のことには触れず、ただ血圧を測るだけの外来でした。
"これでは近所の医院に通っていたときと同じ、また手遅れの一歩手前の状態になってしまう"、という不安がだんだん大きくなり、私たちは診察のたびに"大丈夫でしょうか?"、と尋ねるようになりました。
2003年4月、いつものように質問すると、B先生は何気なく一言、「大きくはなっているけど、手術はなるべくしたくないんです。」と、本当に何気なく、独り言のようにつぶやきました。
したくないとは、どういうことだろう・・・。

"したくないって?"。私たちもしたくないし、させたくありません。
これは家族であれば当然です。
しかし、上行大動脈瘤の時は、手術をしなくて済むものではないと、あれほど説明を受けたのです。
大動脈瘤は、とても危険で、兆候がなく、ある日突然破裂し人生が終わってしまうものだと、聞かされていました。
母はかねてより、手術は確かに怖いが、破裂して苦しみながら死ぬよりは、手術をして生きていたい、と考えていました。
母は、思いつめたように"手術に自信がないという医者に命を預けられない"、と言いました。
母は先生に対して非常に素直です。
先生の言うことは必ず守ってきました。
その母が先生に対して躊躇し、嫌だといったのです。

執刀医探し

それから、私たちの先生探しが始まりました。
でも、どうすればいいのでしょうか。
医療ミスも、昔は密室の出来事であったのものが明らかにされ、善くも悪しくも情報は無限にあります。
しかし、実際、手術ができる医者探しは至難でした。
まず、患者には医師の持つ手術技術の良し悪しはわからないこと、最近は手術風景をビデオに撮ってくれる病院もあるそうですが、それを見ても私たち素人にはわかりません。
ましてや母と同じ病気の人を捜して体験を聞いたり、先生について聞くことは不可能でした。

「どこそこの○○病院が心臓外科では有名だ」と教えてくれる人もいましたが、私達には役に立ちませんでした。
なぜなら、私たちは心臓手術では有名なこの大学病院に見切りをつけたのですから。
手術をするのは病院ではなく医者本人です。
探していたのは「医者」であり、病院ではありませんでした。
私たちはインターネットと書籍で名医と言われる先生を探すことにしました。
その過程で、大動脈瘤の手術は大掛かりな手術で、ましてや下行から腹部は様々な臓器と連結している部分でもあり、この部分の手術ができる先生は、ほとんどいないことを知りました。
大学病院の教授が「やりたくない」と言ったのは、正直な気持ちだったのでしょう。
そして何日かかけて、とうとう山本先生のホームページにたどり着きました。

それは山本先生が手術件数を公開しており、その豊富な手術経験を知ったことが大きかったと思います。
海外で学んだことにも好感を持ちましたが、この時点でも山本先生にお願いするかどうかは決めていませんでした。
山本先生の病院に連絡をして、診察予約を取りました。
心臓外科の秘書の方が対応してくださいましたが、いきなり電話をして、「年間どのくらいの手術をしているか」、「山本先生でお願いしたい」といった、わがままで失礼な希望を告げる私に、とても親切に手続きをしてくださいました。
いきなりアポイントを取り、有名な先生が果たして診てくださるのか、という不安はたちどころに消えました。

私たちは、まず外来で会ってみてから決めよう、と思っていました。
医者がぞんざいな態度であるとか、説明不足で患者に不安をあたえる、という話もよく聞きます。
母の命を預ける先生だからこそ、真剣に選ばなくてはいけないと考えていました。
今まで通院していた病院に対しては、セカンドオピニオンを受けたいので資料が欲しい旨、伝えました。
母は病院を変えることに関し、大勢の人と同じように、今まで診てくださった先生に悪い、と思っていたようですが、私は今の先生に任せる気はなく、母を説得し納得してもらいました。
 
初めての診察の日、紹介状を読んだ山本先生は「セカンドオピニオンでいらっしゃったのですか?」と聞かれましたが、私達はそれを否定し、それまでの経緯と気持ちをお話しました。
外来での先生は、とても明確に動脈瘤の病状を説明し、迅速に午前中に必要な検査を指示し、午後、ゆっくりと話し合う時間を作ってくださいました。
私達を前にして、この手術は簡単ではありません、とおっしゃり、ポツンと一言、「でも、自信はあります」と、私たちが最も望んでいた一言をおっしゃいました。
「自信がない手術は引き受けません」、とも。

帰宅途中、私たちの気持ちは、すでに決まっていました。
母は「あの先生がいい!」と笑いながら言いました。
勿論、先生の「自信がある」の一言だけで決めた訳ではないのですが、それは私たちにとっては大きな出来事でした。
山本先生も、手術の後遺症やどうしても助けられない場合があることを、説明されました。
母に「怖い?」と聞くと「今回は怖くない」「あの先生にやってもらってダメならダメでしょう」と強がっていましたが、私は山本先生にお任せしよう、と思いました。
面談中、大動脈瘤の手術をまともにできる医者が少ない現状を嘆き、後任を育てなくてはいけないと語ってくださった真摯な情熱に、この先生にすべてを任せよう、と思えたのです。
私たちが手術を受けるにあたり、心から信頼のおける医師に出会えたことは大きな幸運でした。

第二回目手術

手術当日、兄弟三人で母を手術室へ見送り、私たちは時間が経つのを待っていました。
前回よりはるかに大きい範囲の手術でしたが、時間は前回よりも二時間ほど早く終わり、私と兄は執刀を終えたばかりの山本先生に呼ばれ、開口一番「もうすこしで破裂しそうなくらい、大きくなっていましたよ。」と言われ、危険をまざまざと痛感させられました。
術後の経過も前回より良く、母は一般病棟に戻ってからも、あまり痛みを訴えませんでした。
実際、早く回復しようと歩行練習にも積極的に取り組み、病室に戻ると妹に電話をかけて報告したり、一回目とは明らかに違っていました。

山本先生は、口では「手術が無事終われば、外科医の役目は終わりですから、病室には行きません」と軽口めいておっしゃりながら、事あるごとに顔を出してくださいました。
日増しに退院に向けて快復している母を見て、嬉しそうな顔をしてくださり、その笑顔を見て、私たちもほっとしたものでした。

退院後は全てが良好です。あれから一年あまりたった現在でも、山本先生には外来のたびに他の病気に気をつけて、とお心遣いをいただいています。
身体の傷跡は背中からおへその下まであり、風邪で内科に行っても、腰痛で整形に行ってもびっくりされます。
こういう手術をした、とお話をすると一様に感心されます。
その度に、どれだけ高度な技術と多くの経験がなければできない手術だったのかと思い知らされ、私たちの選択が間違いではなかったことを実感しています。

終わりに

長々と私事を書き連ねましたのは、少しでも、これから大動脈瘤の手術を受ける方々への励ましになれば、との思いからです。
実際、私たちは山本先生にたどりつけて幸運でした。
手術の前に、外科医は「自信がある」とは言わないでしょうし、言えないだろうとも思います。
もし手術がうまく行かなければ、責任を追及されるでしょうし、訴えられるかもしれません。
しかし、それを敢えて言える人がどれほどいるでしょう。
その言葉は、確かな技術と経験による裏付けなければ言えない言葉だと思います。

世の中には大動脈瘤になっていても、医師の情報を得るすべを持たないお年寄りや、症状が出ないため手遅れになってしまう人も、まだまだたくさんいるはずです。
そんな多くの患者さんたちが、自信を持って手術に取り組んでいるこの先生に、一日も早くたどりつけますよう、願っています。